こころをふんわり軽やかに 日々のあれこれを紡ぎます

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夫が、早く仕事が終わったら、観に行こうか?
と誘ってくれた、神戸ルミナリエ。

20年前も、夫と来ました。

今日は、夫が最近趣味にしている写真を撮りたくて行ったのもあるのですが、

あの日、真っ暗になった夜と、たくさんのビルがなくなって、ぽかんと広がっていたまちの空を知っているから、
ニッコリ笑ってVサインはできません。

でもね。

仕事をなんとか終わらせて、
もうすぐ、夫が待っている駅につく、って思うと、
口紅、塗り直したらよかったかな?
なんて、車窓に写る顔を見て気にしたり、
駅のホームの階段を降りて、夫を見つけたときにうれしくなったり、

あれから20年経っても、そんな乙女ゴコロで、私はできている、
って思った夜。

ゆっくりとした、夜でした。
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ごきげんよう。

上司が、30歳のお誕生日を迎えました。

若いなあ。。。
ってのはともかく(笑)、
30歳までは、冒険も含めて、自分のために自分のことを一生懸命して、
30歳になれば、家族を持ったりほかに背負うもの、守るものを持ってもいい、
というような父親からの言いつけがあったらしく、
上司にとって、30歳とは、区切りの歳になるのだとか。

そんな話を耳にしていたので、
ささやかながら、その区切りをお祝いさせていただこうと、
お付き合いの深い関係会社の事務の方、営業の方に声をかけて、
寄せ書きをすることにしたのです。

実働日数は3日。
月末締めの忙しい時期に、みなさん、ことのほか好意的に受け取ってくださって、
メッセージカードを、書類と一緒に送ってくださったり、
打ち合わせのときに持ってきてくださったり、
わざわざ用事を作って持ってきてくださったりしました。

わかりました!是非させてください!
とおっしゃってくださるのは、上司の人柄なのだろうな、と思います。

誕生日の前日、上司が「明日はいいことあるかなあ」とおっしゃるので
「絶対あります。私が予言します」と笑いながら話していたのを伏線にして、
当日、上司が席をはずした隙に、メッセージを挟んだアルバムと、
『いいことあります』というメモを置いて、サプライズは大成功☆

その後、上司はメッセージをよせてくださった方々に、
1人ずつお礼のお電話をしたそうなのですが、
みんな、笑っていた、とのこと。

お祝いすることを通して、みんなが楽しい気持ちになれるっていいですね。

私がそういうと、俺らしさを確認できたいいプレゼントだった、って
喜んでいらっしゃいました。

彼は、笑顔の中にいる人。
みんなが笑っていて、その中に上司がいる、ということが実現できて、
私もうれしいです。

この日を迎えるまで、ものすごく不安だったのです。

ちょうど各社の締め日だったのに、
しがないイチ代理店の、歳だけとっている2年目の社員がこんなお願いをして、
そのお気楽さに、上司や会社の評判が下がってしまったら?

本当は忙しい中、仕方なくしないといけない、なんてことになったら?
(それは、あっという間に払拭されましたが)
やっぱり無理でしたって、企画倒れになったら?
中途半端な数しか集まらず、変に気を遣ってしまうことになったら?

郵送してくださったり、持参してくださったり、
いろんな人にいろんな手間をかけてしまっていることに、
きっと上司も、ありがとうと迷惑をかけてしまったと頭を下げるのではないか、
それって、結局私のエゴなんじゃないか?

私の勝手な思いでやっていることで、誰のためにもなっていないのでないか。

よし!やるぞ!って決めて動き出したのに、
動き出してから、その重さを感じると、引き返せない後悔も出てきて、
気持ちがぐらぐら揺れました。

でもね、私が入社して1年、
仕事ができる、とか、結果を出せばそれでいいのではなく、
むしろそれよりも、迷惑をかけたり、かけられたりして、
喜んだり悲しんだり、怒ったりぶつかったりしながら、
みんなで一緒に仕事をしていくこと、それを通して契約、売上をあげていくような
人間臭く仕事をしていくことは、
上司が一番大事にして目指しているところだったから、
こうしたことも含めて、「らしさ」が出るんだろうなあ、とも思っていました。

正直なところ、私にとっても、かなり「迷惑をかける」ということは、
テーマだったかもしれません。
迷惑をかけるようなことは、ダメなことだと思っていたし、
迷惑をかけないような生き方をしなければいけない、そのほうがいい、って
思っているところがどこかにあって、
びくびく、大丈夫かな?と思いながら日々生きている気がして。

仕事で数々の失敗をしてきて、その都度、叱られたり注意を受けたり、
私の代わりに上司や社長がお客さまのとこに出向いたり、
たくさんの迷惑をかけてきました。

それでも比較的自由に仕事をさせてくださるおかげで、
こうしていろいろな人に声をかけられる関係ができたことを思うと、
もちろん、迷惑をおかけしないほうがいいのだけれども、
迷惑をかけられないような生き方って、問題は起こらなくても、
それ以上の広がりや発展、深みってなかなか出てこないのかもしれない、
そう思います。

少し前、ある活動の説明会に参加したとき、
シングルマザーの方が、「うちはいつも世間に迷惑をかけて過ごしている」
っておっしゃったとき、胸がしめつけられたのです。

頑張ってるんだろうな、苦労しているんだろうな。
でも、もう少し、迷惑をかけてしまう自分を許すことができれば、
きっと、周りの人は、もっとつながりやすくなるんじゃないかな?

だって、迷惑をかけないように頑張っている姿は、わかるのだろうから。
そういう人のちょっとしたことって、支えたいし守りたいし、応援したくなるじゃないですか。

今回、ちょっとご迷惑をおかけすることを、あえてお願いしてみたことで、
みなさん大変だったかもしれないけど、確実に笑顔はあったし、
プレゼントしたことの報告と、協力へのお礼のメールをお送りしたら、
みなさん、上司が喜んでくれてよかった、とおっしゃったあと、

「楽しい企画に参加させていただいてありがとうございます」
「大したことをしていないのに、何だかこちらも気分がよくなった」

って書いてくださった方々がいらして。

そういえば、私も、上司の周りにいる1人だわ。
私も、こんな機会をくださった上司やみなさんに、感謝しています。

迷惑万歳!
仕事という同じ目的を持っている関係だからこそできるのかもしれませんが、
そうした仲間って、どんなところでもあるしできるはず。

とてもいい時間を過ごせました。


ペタしてね



ごきげんよう。

先日、リベルタ学舎さんの公開企画会議から生まれた
「週替わりチーママの金曜親子バル」の第1回に行ってきました。

このイベントタイトルからして、趣旨や意義や目的がどうの、なんてなくて(笑)
親子で気楽に何か持ってきて楽しく集まっちゃう?くらいのユルさ。

決まっていたのは、会費と場所と、その日を仕切るチーママ(笑)くらいで、
直前になって、誰からともなく、これを作っていくとか、食器はどう?とか、子
供のおもちゃは?とか、
指図とかお願いとか役割分担を決めるとか、そういったことも全くなく、
それぞれが、やりたいこと、できることを絶妙にぽんぽんやっていって、
ともかく、飲む、食べる、しゃべる、アソブ。
バカ話もすれば、経済や子育ての話をしたり、子供と遊んだり、
それで、全員がOKだった。

こういう気楽さ、私は好き。
決めない、というのは、一見無責任に感じるかもしれないけれども、
自由って、いい加減に思えることがあるかもしれないけども、
楽しみたい、そこにいたい、という主体性を持っている「自由さ」には、
その自分の意志や希望を叶えるという意味での責任がすでに含まれている、
と私は思っています。

立ち上げた働く親のサークルも、最初に決まっていたのは第1日曜日に集まる、
ということだけで、
そこに集まったメンバーが、あれがしたい、これがしてみたい、それいいね!
それなら私はこれができる、こうする、ってどんどん形にしていっていた。
知識が豊富な人、経験が豊富な人、よく気がつく人、まとめるのが上手な人、
別に、そうしてってお願いしたことなんてないのに、なんとなくうまくいく、
参加している人は、みんなそれでOKだった。と思っています。

サークルから派生してできた地域活動グループも、最初は同じだった。
やりたい、やろう!だけで進めていた。

そこにね、あの人ばかり負担をかけているのではないか、とか、
いつも自分(あの人)がやっているような気がする、とか、
申し訳なさや負債感を感じてしまうと、少しずつ変わってくるのでしょうね。

リベルタのブログでカナさんも書いていらっしゃいましたが、
申し訳ない、ごめんねの関係は、できれば、ナシにしたい。
ありがとう、よかった、って言える関係でありたい。

ただ、そういう価値観を持ちにくい人、というか世の中を生きてきていると、
考えなくてもいいからね、って言っても、考える人は考えるのだから、仕方がない。
(これについては、ここでは書き足りないのでいずれまた書こうと思います)

今、サークルも、地域活動も、なんとなく、担当とか役割分担だとかが決められています。
それはそれで、機能的にはなっているし、安定感はあるのかもしれません。

言いだしっぺとしては、こういう流れや変化ですら、自由だと思っていたりします。
そうしたい人がいて、それでいい人がいる集まりに、今はなっているって。
それをうけいれる「自由」を、私は選んだだけのこと。
人が変わっても、変わらないものは、絶対にあると思っていますから。

サークルは、そろそろ10年続いています。
地域活動も、最初に立ち上げたときから、7、8年は経っているのではないでしょうか。
…ということすらいい加減。どうでもいいと思っていたりしますが、
それだけ続いている理由って、何ですか?と聞かれることは多くて。

何ってお答えするかって、やっぱり、みんながやりたいことをやる、ということを
それがどんな形であれ、言いだしっぺとして特に何の制限もなく続けているから、
その時々で、リーダー的存在や動く人が変わり、カタチも変わっていくけど、
集まりそのものは、そこにいる人たちの意志があって続いているってことなんじゃないかな?と
お話します。

ええ、サークルも、地域活動も、登録上、私は代表ということになっていますが、
実際の動きも、周りの目も、代表が私だとは思っていませんから(笑)
別に、私が何もしていないから、私が代表になりたい、と言われれば、
そうしていただいてもOK。
だって、私はただの言いだしっぺで、ずっと全員とフラットだと思っていますから。

別に、社会的に認められるために、という大きな目標も、私にはありません。
そういうのは、後付けでくるものだと思っていますが、
大きくしたいという人がいれば、そうしたい人にお任せしています。それを否定することもしません。

ただ、まずは、ここにいる私たちが楽しくて幸せかどうかだということ、
誰かのために、ではなくて、今、私が、あなたが、サークルに来るのが楽しいですか?
イベントや活動をするのは楽しいですか?
ということは、私の中ではずうっと変わらないと思う。
それが、私の言いだしっぺとしての、矜持かな?

だから、私は、ものすごく楽しい夜だったんです。
あー、これこれ、こういうのが、私は楽しくて好きなのよって。改めて思えたから。
ご一緒できたみなさま、どうもありがとう☆


ごきげんよう
地球とこころを耕し 育つちからを支えるセラピスト
ここふわのまや翠でございます。

今年の年末年始は長かった…のか?
と思うくらい、あっという間に明日が仕事はじめ。

実は、上司から宿題が出ていまして。
それは、今年の目標を考えてくること。

そんなの簡単♪と思いきや、
いざ、言葉にしようと思うと、あれ?何かしっくりこない…
そして、夢にみるくらい考え込んだ私(笑)

元旦に新月、という一年の計の日に、お願い事も書いたのだけど、
なんていうか、こう、漠然としたものばかりだったのデス(-_-;)
どれも、大切な思い、願いなんだけど、
もっともっと深いところを、自分の心に問いかけてみると、

毎日、幸せを感じて心から笑うこと

だな、と。

目の前にお仕事がある、ということへの感謝と幸せ。
それがたとえ厳しいものであっても、
乗り越えスキルアップできる機会をいただけていることへの感謝と幸せ。
共に先を目指して共に戦い、喜びをわかちあえる人たちがいる幸せ。
そして、笑顔が周りの人を幸せにするって信じている。

がんばる、とは違う。
幸せになる行いをすること。
毎日、今日も幸せだった、と眠りにつくこと。

去年、笑えなくなったときの辛さや苦しさを知っているから、そう思える。
本気で取り組んで、本気で喜べた経験があるから、そう思える。

日々、細かいハプニングやトラブル、ミスは、あると思うのです。
要は、そのとらえかたの問題。

ミスしてへらへら笑ってるってわけじゃない。
落ち着いて、できるだけのことをやって、それから、よくやった、と笑えればいい。

心から笑うって、そういうことだと思う。

さ、明日からが楽しみになってきましたよ☆
それでは、ごきげんよう


ペタしてね



ごきげんよう。

今日は、龍宮道場さんで、身体のメンテナンス。
大体、月1~2回のペースでお世話になっています。

身体と心はつながっています。
ちょっとした気持ちの動きが、身体の張り、強張りに繋がり、
そんなところを、まるごと緩めて、抜いてくれるのが、
とらちゃんのセッション。

今回は、夏の疲れと、不摂生もあって、
思ったよりも溜まっていたようです。
終わったら、世界の明るさが変わったと思うくらい(笑)すっきり。

その足で、岡本ハッピーバトンのイベントの1つ、
右田農園さんの朝市へ。
ふゆうまか、というとってもおいしいかぼちゃと、
なかなか手に入りにくい生唐辛子、
そして、ぷくぷく肉厚っぽいゴーヤをいただきました☆

唐辛子は、先日、キャンプのときに、
焼き肉のたれにみじん切りで入れると、とてもおいしかったので、
ぜひほしいと思っていたので、とてもよかった☆

先週の雨で、畑が冠水して土が泥上になってしまい、
ある程度乾くまでは、手を入れられないのだそうで、
秋冬のお野菜の成長に影響があるのだとか。

でも、家が壊れたり命を失わったわけじゃないし、
と、右田さんはとってもスッキリしたお顔でおっしゃるのですが、
自然と共に生きる、と言っても、そんなに簡単じゃないよなあ、
って、とっても複雑な思いになりました。

普段いただいているお米やお野菜が、こうして手に入るまでに、
どうしようもない、だけど一番お世話になっている自然現象に
一喜一憂する苦労を思うと、
農家の方のお仕事と、土と太陽、地球のお仕事には、
本当に感謝の言葉しか浮かびません。

その右田さんから、大丈夫?と言われた、石カフェ畑。
午後から晴れ間がさしてきたので、行こう!と思ったのですが、
結局、雨を予想して家族の予定を先に入れてしまっていて、
足を運ぶことができませんでした。

今頃、どうしてるかなあ。

来週は、久しぶりに畑のレポート、できたらいいな。

今日も、豊かな日曜日でした