こころをふんわり軽やかに 日々のあれこれを紡ぎます

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ごきげんよう。

掬星台からロープウェイで降りてくるときに撮った、夕暮れの夜景。
これを教えてくれた人は、
ふもとに下りてから、バスの乗り場がわからない私を、
わざわざバス停の近くまで、送ってくださいました。

本当に、山が好きで、あふれる好きな気持ちを、周りの人と共有したい、パワーが伝わってきて。

ともかく、摩耶山のイベントをはじめ、
週末は、人の優しやや暖かさ、繋がりを感じました。

協賛くださっている企業さんのブースでは、どの企業さんとお話しても、
熱く、自社の製品を語ってくださいました。

製品や商品は知っているけれども、それを支える人とお話しするのって、
その製品の背景が伝わってきて、親近感がわきますよね。

大変失礼な話かもしれませんが、
イベントの後、スーパーやコンビニに行くと、何気なく見ていた商品が、
あら、これはあの会社のだわ、なんて気が付いたりして、
知らないところで知らない人が作ったものじゃな くなる。

スタッフだったんじゃないの?って?
ええ、そうです。
だからこそ、より身近に企業さんを感じることができたのかもしれません。
私なら、どこででもどんな立場でも、おしゃべりしちゃうのだろうけど(笑)

こっそり(ってこっそりじゃないですね、ここに書いたら…)書くと、
販売できない量になったものを、せっかくだから、って
最後にわざわざ私を探して持ってきてくださった方だとか、
もう売れないので処分するものだから、わかってくれる人ならと、
片付けるときにちょっと分けてくださった方さんだとか、
ゲームをちょっとおまけしてくださった方だとか
(って、知ってる人には全部わかっちゃうよね)

スタンプラリーで2種類の中から1種類もらえた珍味を、
美味しいから食べてみ、とくれた某少女とか、
(私はもう1つの珍味をもらって、わけっこしたんです)
全然知らない子が、植物の場所を教えてくれたり、
参加していた方としていた、味噌作りや藍染の話を近くで聴いて、
興味を持ってくれた、別の参加者さんとのおしゃべりしたり、
市の方と一緒にどんぐりやツタを探しに行ったり、

企業とか、スタッフとか参加者とか、大人とか学生とか子供とかではなく、
あの場に集った人と人同士の暖かさを強く感じたイベントでした。

みなさん、本当に温かくて、広くて、熱い。
なんて素敵な人たちに囲まれているのだろう、と幸せいっぱいになりました。

日曜日は、午前中はお祭りの出店のお手伝い。
もう、10年近くお手伝いをしていますので、あちこちに顔見知りがいますし、
息子の友達や、サークルの子どもたちも、会えば手を振ってくれたり、声をかけたりかけられたり。
地域のつながりを感じます。

午後からは、アドラー心理学をもとにした勇気づけ講座。

私の良い出しをみなさんにしていただいて。
自分があまり自信がない、コンプレックスに感じていたことが、
意外とそうは思われていなかったり、うれしい言葉をいただけたり、
自分が言ったことで、周りの人が笑ったり、ってうれしい。

そのあと行った、龍宮ワクワク会では、


ウクレレの弾き方を教えてもらったり、なんとなくセッションしたり、



魔法の質問カードのセッションで、何だか明るい未来が見えてきたり



短時間でしたがエコロジカルシンキングゲームができて楽しかったり、
ブロックをはずしたり、体の調整をしてもらったり、
最後の最後まで、いろんなセッションをしていただきました。

私なんて、とか、どうせ、なんて思っているよりも、
これが私なんだから、と自分を開くと、
いろんな人から受け取ったり、与えたり、やりたいと思ったことを口に出すと、
案外いろいろ叶うものなんだなあ、と。

少しずつですが、楽しむことを楽しむ?というか、
自分らしく、居心地良く、ご機嫌でいられるポジションがわかってきた、
そんな気がした週末でした。


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(画像は、HPのスクリーンショットです)


ごきげんよう。
今日は、リベルタ長屋のお披露目会にお邪魔してきました。

リベルタ学舎さんの部活動の一つとして、
管理人のさーりんさんのお家を解放して、
大人も子供も、そこに集って楽しく過ごせる場所です。

詳しくは、リベルタ長屋のブログを見てくださいね。

実は、お誘いを受けていたものの、すーっかり忘れていて、
今日は珍しく1日家にいる…うーん。なんか忘れていないか?と
スケジュールやメモをごそごそしたら…あった!
申し訳ございませぬ…

某駅から歩いてすぐ、近くには公園もある、静かな地域。
お家にあがったら、たくさんの子供、ママ、そして、パパ。
そうそう。私が行ったときには、リビングにママがいて、パパたちは、
ダイニングにいました。
どうぶつ将棋をしている男の子とママは、実は親子ではなかったり、
初めて会う子が話しかけてきたり…

おしゃべりしていたら、輪が広がり、誰かが出ていき、また誰かが入ってきて、
手作りのおやつをみんなで食べて、お片付けも誰かが動く。
最近、関西に引っ越してきた人は、どんなことを話しても、引かれないできいてくれるって
久しぶり、っておっしゃる。
こういう雰囲気、いいなあ。
まさに、長屋っぽい◎

いろんな人がたくさんいるのが、社会。
その小さな単位が家族。
ちょっと集まれば、コミュニティ。

うちの息子は、今は塾や習い事でなかなか放課後の自由がないけれども、
あともう数年早くここがあれば、間違いなく来させたかったなあ。
ちょっとお年頃になってきて、気心知れた友達や場所以外では、1人でいることを好むけれど、
彼は彼で、今、このまちにバカができる友達もいるし、
私がいなくてもどこかでみていてくれる、近所のおばちゃん、おっちゃんたちの「目」があるから、
わざわざ行くって必要はないかもしれないけど。
こういう場所って、必要だと思うんだ。
いろいろな考え方、ものの見方、生き方のお手本があって、一緒に育ちあえる場所。

私も、近所のおばちゃんとして、お役に立てることがあったらいいな、って思います。


ペタしてね

ごきげんよう。
久しぶりに、メッセージ以外の投稿です。

【人間万事塞翁が馬】

昔、中国のある国境の近くに住む老人の馬が、国境を越えていなくなってしまった。 

周りの人がそれを気の毒がると、老人は言った。 
「これが幸福にならないとも限らない」 

その後、いなくなった馬は、駿馬を連れて戻ってきた。 
今度は周りの人が、よかったねとお祝いに行くと、老人はこういった。 
「これが災いにならないとも限らない」 

すると、この駿馬に乗った息子が、落馬して、足の骨を折ってしまった。 
周りの人は、かわいそうに、となぐさめると、 
「これが幸福にならないとも限らない」 
と老人は言う。 

その後、戦争が起こったとき、足の骨を折った息子は闘いに行かずに済み、 
無事だった。 

幸せや災いというのは、すぐにはわからない、ということ。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~

これが、人間万事塞翁が馬。 

先日、会社で社長としていた雑談から、なぜかこんな話に発展して。 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

時は3月。 

いろいろな営業さんが会社を訪れたかと思えば、異動、転勤のご挨拶ばかり。 

狭い会社だからこそ、漏れ聞こえてしまう会話に耳を傾けていると、 
いろんなことがあるんだなあってしみじみと感じます。

栄転になる人、据え置きの人、うれしい人、複雑な人。 
年功序列、転勤のタイミングとそのとき挙げた成績の兼ね合いがあったり、 
合併、組織再編などがあったり、 
自分の実力だけではなく、タイミングと縁も深く絡んでくる中で、 
少しずつ、会社員としての先が見えてくる人もいる。 

だけど。 
上へ、高みへいくことが全てではないし、 
そもそも、行った先が上なのか高いところかどうかってわからない。 

みなさん、それ自分ができる範囲のことをできるだけし続けながら、 
それぞれの立ち位置で、それなりに辛い思いも、いい思いもしながら、生きている。 


まさに、人間万事塞翁が馬。 


最近、とある企業のCMで、 
「人生はマラソンじゃない」 
ってのがあるけど、 

企業戦士、なんて人はどこにもいない。 
みんな、会社の、世の中の歯車の一つなんかじゃない。 

だってさ、世の中、社長がゴールならば、 
ゴールできる人なんて、わずかしかいないじゃん。 
その社長ですら、そこが最終地点だと思っている人なんていないんじゃないか? 

営業さんや社長の話を聞きながら思った。 

よく社長が私に言うのです。
「他人を羨んだらあかん」

最近、ちょっと隣の芝生が青いように感じていた私には、
結構、心に突き刺さり、しみこむ、染み入るような話で言葉だった。


ペタしてね
こんばんは。
今日「新しい人種と遭遇した」と言われた
地球とこころを耕す小麦色のセラピスト ここふわの山本玲子です。

私自身は、そんなに珍しい、いや、アタラシイの?って疑問に思うし、
何なら変わり者?的に、あまりいいものとしてとらえていなかったのですが、
それが個性だったり特徴だったりするんですよね。
なんだ、私はそれでいいんじゃん?と思えたひと時でした。

さて。
今日は学童で、けん玉検定。
基本的な技から、ちょっとした技術がいる技まで、
できるようになると級や段があがっていきます。

先月、この検定の説明会があったとき、

「学校にいる時間が長く、その間いろいろな決まりに縛られている子どもたちが、
学校から離れてまで、何かを強制されなければいけないような保育はおかしい。
こんなことをする意味がわからないし、子どもたちがかわいそうだ」

と異論を唱えた方がいらっしゃったそうなのです。
(私はそのとき同席していなくて)

ある点では、おっしゃるとおりだとは思いますが、
ある点では、そうじゃないと思います。

何者にも縛られない放課後を過ごすことは、子どもたちにとって、
学校や家庭で学んだことを社会で実践する貴重な時間。
それを、大人からあれをしよう、これをしなさいと与えられたもので埋めることは
やはり決して好ましい状態ではないと私も思います。

けん玉検定をする理由は、
できないことをちょっと頑張ってできた喜びを感じることもそうだけど、
普段仲良しの友達であっても、上だ下だと思う違う学年の子であっても、
みんなそれぞれできることは違っていることを知ることで、
比べてどうではなく、お互いを認めあえる心をはぐくむことにあります。

アイツはできるけど、オレはできないことがダメなのではなくて、
アイツはできないけど、オレはできるからいいのでもなくて、
相手を見たときに、自分にあるもの、ないものを相手から見出し、
自分も伸びていこう、向かっていこうとする力って、
ものすごく強いものがあります。

最終的には、自分がどこまでできたか(成長したか)なのですけれども、
それを周りの仲間に触発されながら進めていくのは、
競争や比較とは同じ様な、違うような。。。

同じ技でも、子どもによって癖や性格も違うので、
教え方や声のかけ方も異なるので、
保育後に指導員同士で共有してもいます。
必ずしも、毎回全ての子どもに同じ様に関わることができるわけではないのだけど
子どもがそうして楽しみながら伸びていくチャンスを、いかにプロデュースするかで
得られるものは何倍にもなりうるのではないか、と思っています。

ちなみに。
子どもたちは1年でどんどん伸びていくのに、
大人の私たちは、途中で伸び悩むの。
一緒になって、ときには家に持ち帰って練習をすると、
今度は息子に簡単に追い抜かれてorz

大人も大人のスピードで、いろいろやわらかく。

明日もお元気で☆



ペタしてね
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