こころをふんわり軽やかに 日々のあれこれを紡ぎます

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こんばんは。
こころと地球を耕す(最近に地球を耕していないわ)
小麦色のセラピスト まや翠でございます。

地球は耕してないけど、
あることがひらめいて、ある人に相談する、というタネをまきました。
上手くいくといいなぁ。

さて。
「自分のことは自分でできる子に」
とか
「自分のことは自分で責任を持つ」
とか
子どもにこうなってほしいなあ、という願い、ありますよね。

私もその1人ではあります。

ただ、これって、

「誰にも頼ったり助けてもらってはいけない」

なんてひとことも言っていないのに、
気がついたら、
他人と比べたり、優劣を競ったり、
自分らしさは、誰かより秀でていないといけないことと同義になり、
「個性」や「個人主義」というコトバがちょっと違った方向に解釈されることで、
「個」が、

「孤」

になってしまっていることってないかなあ?
と思うことがあるのです。

勤め先の学童で、
誰かがケンカをして泣いているとき、
「先生、あの子泣いてる、どうしたんやろ?」
と気にしている子もいるのですが、
大半の子どもたちが、お友達とのおしゃべりや自分のことに夢中で、
気がつかなければ、
「僕(私)、見てなかったから知らん。わからん」
と、いう子もいます。

そのケンカの仲裁に指導員などの大人が入ったあとになって
「それって○○が~するからやん」
と、「自分は知っていたし気にしている」というアピールをする子も。

今日、そういうことがあって、とても悲しいなあ、と思いましたが、
そういった環境を作ったのは、実は大人だったりしませんか?

業績、成績、リストラ…会社で生き残りを賭けた大人の社会がそう、
ということもあるかもしれないし、
子どもたちのためによかれと思って関わっていることが、
「大人が何でも解決してくれるからいいんだ」
ということになっているような気もします。

「小さいときは、手をかけ、大きくなったら目をかける」

という言葉がありますが、
いつが小さくて、いつから大きいのかなんて、
それこそ個人差がありますよね…

誰もが自分らしく輝きながら、助け合って生きる世の中になるには、
この問題にもっと向き合って、考える必要がありそう。
いつの世の中もそうなのかもしれませんが。

子どもの世界や思い、言葉から、
ふと、自分を振り返ることがあります。

私自身が、私であることに自信を持って、
周りの人とつながっていく和をつくれる人間になろう。

そう思った今日の仕事でした。

明日もお元気で


ペタしてね


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